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Photo by Kazuki Okamoto

小さな頃からサッカーと共に人生を歩んでいます。

 

いつの日からか「なぜ私はサッカーを始めたのか?」と自らに問うようになり、その理由が一向に見つからない苦しさと、過去に遡ってきっかけを探し直すことができない事実にだけは、しっかりと向き合っていた子供時代だったように思います。18歳のとき、燃え尽きた末にプレーすることを辞め、サッカーから完全に離れることを決意、高校卒業後は誰も自分のことを知らない場所に行きたい一心で地方の専門学校に進学しました。昼はスポーツトレーナー学科で身体の基礎を学び、夜は鍼灸師を育てる学校で東洋医学を学びました。その際、3年間の過程を経て『はり師きゅう師』の国家資格を取得しています。勉学に励む中、私は「サッカーを外から観ることの楽しさ」に生まれて初めて気が付くことができ、少しずつ、サッカーへの情熱を取り戻していきます。

20歳になった頃、サッカー監督になりたいの“かもしれない”と思うようになり、学生生活を終え東京に戻ってからはコーチとして働きながらアルバイトをし、海外へサッカーを学びに行きたいという欲を満たすための準備期間を過ごしました。

23歳、初めて外国に一人旅へ出ます。アジアとヨーロッパ約15カの国と地域を回り、現地のサッカー文化に触れることできました。最終的には、アイルランドの安宿で寝ている間に荷物を全て盗まれ、途方に暮れながら入ったバーで黒ビールを飲みながらチャンピオンズリーグを観ている時、「プロのサッカー監督になる」と決意したことを覚えています。

その1年半後、25歳の時に南米はアルゼンチンに移住し、現地の監督養成学校に通いながらサッカーを学びました。​3年間の過程を経て「CONMEBOL PRO」という、南米サッカー連盟最高位のプロサッカー監督ライセンスを取得しています。アルゼンチンで過ごした3年間は、サッカー観に留まらず、私の人生観に大きな影響を与えました。当時のことをここに書き切ることはできませんので、大切にしまっておきます。

帰国後、鎌倉という美しい街に住み移り、鎌倉に拠点を置く新しいサッカークラブで監督及びCBO(ブランディング責任者)として仕事をしています。

20代はとにかく、必死に、短距離走を走ってきました。30代から先、これからは焦らず、丁寧に、長い時間をかけて生きていこうと思っています。

主な取材・インタビュー

 

2022.12 nanamica

2023.1 Nike Tokyo

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